暗黙の了解

日本はもともと単一民族であって基本的に暗黙のルールというものを基盤としているわけでして、
「同じ民族なのだからわかるよね?」
的な思想が根底に強くあり、集団に同調する事がうまくやっていける方法として村社会で適応し今に至っていると思うのです。 なのであえて暗黙の了解で済まされている事柄を明文化する必要がないわけですね。

逆にアメリカなどでは多くの民族が混じり合っているのでいちいち明文化する必要がありそもそも暗黙の了解でコミュニケーションを取る事があまりないので、ポリティカルコネクトネスのような概念が必要となり、発言がある意味しにくい国になっているという事実もありますね(それに窮屈さを感じている人が増えているそうですね)

現実、日本人を取り巻く環境やライフスタイルはかなり変わりつつあり、少し本来の意味とはズレますがポリティカルコネクトネス化されつつあり少しでも失言があればSNSで大炎上となりますね。

日本人は単一民族で過ごす歴史が長すぎたからなのか『自分の考え=みんなの考え』と思う事が多いように思います。なので受け入れられることを前提に生きているので否定されたり弾かれると悩んだり逆ギレするわけですね。
逆に僕個人としては、自分以外は皆考え方や価値観が違うものと思っていますので、受け入れられようというよりも自分が楽しく過ごせているかの方が重要です。

訪問先で出会う方や、サロンで出会う若者達と話していて強う思うのは、昔のような暗黙の了解や暗黙の気配り文化はもはや意味をなさなくなって来ているように感じます。一部、ビジネスの集客のタネとして用いられている薄っぺらく美談化された文言だけが飛び交っているように思います(100%そうではありません。あくまで個人的な感想であり相対的な傾向です。)

乱暴に書くと、
お年寄りだから優しくされて当然!
お年寄りは社会的弱者だから労って当然!
子供のする事だから笑って許しましょう!
子供がいるから仕方ない!etc,,,

などと暗黙のうちに皆が長い歴史の中で植えつけられた道徳観でそうしないといけない風潮になっているのが現状ですね。でも、本心ではそう思っていない人もたくさんいるわけで立場が変われば正論なんてどんな風にも変化するわけですよね。暗黙化されたルールというもはブラックボックスのようなもので可視化されていない事により個々の認識の差が激しいのだと思います。

実際に変わり続けていき文明の成長が停滞するのであれば違った考え方もできるのでしょうが、ますます加速し続け人口減少、超高齢化、少子化、食料問題、世界情勢などの問題が津波のごとく押し寄せてくるわけでその時に、いつまでも暗黙の了解というふわっとした概念越しに誰かに依存するわけでなく、瞬時の問題に対して適切に判断できるようになっていく事がますます必要だなぁと考えています。

明文化すべきことはハッキリさせれば良いと思うし、何となく受け継いできた習慣などを見直して惰性の延長に生きるのではなく、本当に今必要なことをやっていけば毎日がもう少しクリアに見えて楽しいのになと考える今日この頃です。