不完全の美

サロンワークの場はあくまで顧客本位のスタンスであるべきと考えているのですが、個人的な美に対してのスタンスは昔から一貫して完成された様式美よりはどこか不安定でいて完成されきっていないものに心を動かされる事が多いです。

決して適当に作るっていう事でなくむしろそのものにどれだけの時間と綿密な計算が入っていようがそれを感じさせない、いい意味での雑さがあるものって受取手の解釈の幅が広がるのでとても面白いと思うのです。その日の気分によっても見え方が変わりますしね。

先日アートの世界でバンクシーの作品がオークション時にシュレッダーが作動して作品が半分破れてしまったわけですが、不思議なものでそれで逆に価値が上がるなんて事が発生するわけで(それに関しては不完全さが受けたのではないのですが)僕自身が考えるアートって2つあって1つは不可逆的に変化があってはならないものと、もう1つは能動的に時代や環境に適応して変化していくものがあるだと思うのです。

僕自身は、手から離れた作品を完成とし不変のまま存続させていくことよりも、不意なアクシデントや自然発生的な劣化などの要因でどんどんと変化していく事、そして最終的には無に還る事にアートを感じるのです。
自己の内包されたものを放出することで第1段階が達成されそこから時代の中で変化してやがて朽ちていくまでが1つの作品となり、内包から始まり全ての包摂へとつながる感じがいいですね。

そもそも命は個人としては1つだけれど人間としては脈々と受け継がれて川の流れのように流れているものでその僅かな一コマを生きているに過ぎないのでその流れを止めたりする必要もなく、発生したものはどんどん流していく生きかたに美を感じ完璧につくりこまれ意図が見え過ぎたものには何の美も感じないのです。