正解かどうか

瞬時に判断できる正解と、長期的にしか判断出来ない正解があります。 その両者をこの瞬間に判断した場合明らかに瞬時に判断できる正解の方が正しいわけで、長期的にしか判断出来ない問題はこの時点では不正解と判断されても仕方がない事が多々あるわけですね。

「なんか馬鹿なことやってるよね」、、、これでいいのだと思います。今、に順応していく事で誤解やトラブルは格段に減少するわけですが、それだとなかなか既存の体質というものは変わらないわけでして、だからこそ、長期的な正解を見つめて今この瞬間を逆に判断しなければいけないのだと考えています。
今を基準に正しく順応するのではなく、進むべき方向にある(必ずしも正解かどうかは判らないが)視点から今を見る事でものの見え方が変わってくるわけですね。

どんな現実であっても、その時の判断で処理するのか、長期的に判断するのかなどと多様に思考の分野を広げていけばおおかたの問題に対し過度に囚われなくなるので余裕を持ってこの瞬間を楽しく生きる事ができる訳ですね。  同じことばかり言いますが、囚われや決めつけが自分の視野を狭め、苦しみの原因を生み出しているわけで決して他人が与えているものではないという風に思えるようになる事が必要ですね。

不平や不満、そして不安を抱える要因は内面が作り出し、現実に投影しているだけだと思うのでその呪縛から自分を解放すれば人間個人の生をもっと楽観的に過ごせるのではないかと思います。

かなりの数の方とお話をして感じた僕の主観的考察ではありますが、広い意味でのパーソナルスペースがなくなりつつあるように思います。なので、数十年前のように人前でだけ社交的な自分を装う事でなんとかなっていた時代ではないですね。時間も情報も行動もなんとなく管理されている社会の中では余程強いマインドを持つか自立した個を確立していないと不満が溜まる一方な人を量産していくのだと思えます。

依存体質をやめて自己肯定感を持てる自分になれれば、社会や周りに振り回されずむしろどこでも誰とでも対等に向き合えるのでは?と考えてます。