良かれと思って

良かれと思って助言したり指導したりするのですが、それってただ単に自分の知識の中での意見なので必ずしも相手にとって正しい事であるとは言えないですよね。 論理的に証明されていてほぼ間違いのない事実であるならばそれもありかと思いますし、明らかに損失になり他者に対し莫大な迷惑をかけるであろうときは大いに助言すれば良いと思います。

人は他人の事を分かろうと近づけば近づくほど分からなくなっていくものだと思うし、挙句互いの決定的な違いに気付くだけとなるように思います。 初めから自分という個人を絶対的に信じブレない感覚で世の中に出て人と向き合う事でどんな現実と向き合ったとしても流される事はないのだと思うのですがこれがなかなか難しいですね。   子供の頃にみんなで登校し、たくさん友達を作る事を良しとされ、集団行動を取れる事を求められて大きくなって来たわけですから、体の奥にその感覚が染み付いていて、皆と同じであろうとするし、人の輪を求めようとするし、何より自分の意志よりも集団の意志を大事にしようと無意識の意識が働いていると思います。  

なので「良かれと思って」という言葉の中に含まれている意味には「みんなと違う事をしているよ」的なニュアンスが多分に含まれていますよね。 主観は過去の経験、すなわち集団における協調性の影響を受けている面が少なからずともあると思うので、その主観から出る言葉はやはり、皆と違う事もしくは皆に比べ足りていない事の指摘が多くなるように思います(ある一面の話です)

経済が今後貨幣型から評価型へ変わりゆくと仮定して考えてみれば間違いなく評価を媒介してサービスやお金が交換されていくわけですよね。産業革命以降の近代のシステムと思考にはそろそろ終演ガチづいているという事実があるわけです。変わらなければいけない子に対応できていかないとこの先残酷な未来が待っていると思います。 その為にも、根拠のない「良かれと思って」なんてつまらん言葉は無くしたいものです。