それは幻想

世の中は美しいものだ。など特に日本人の場合道徳という概念が重んじられ従い、個人で自問自答したりして誰も見ていない時であったり、なんの利益にならない事であっても律儀に守って来たわけです。 それが日本の美徳とされ暗黙の中で浸透していた概念なのだと思います。 車が来ないことが明白で周りに明らかに誰もいない田舎道でも律儀に赤信号を守っている人がいるわけですからね。  それが悪いわけではなくそのお陰で今までの日本は大きく規律が乱れることなく、大多数の意見を尊重(いわゆる一般的道徳)することによってそれはそれで不満の中にも民主主義的な構図が成立していたのかもしれないです。

ただ、近代から現代にシフトしていく中では「赤信号は止まる!」という安易な思考だけではダメで、さらに「みんなもそうしているから」となればさらに問題だと思います。 事実として存在しているのはそのような精神論じゃなくて現実に直面している問題に正しく向き合うことが最も必要なわけですね。  信号を守るというルールはもちろんだと思うのですが、それよりも大切なのは自分の命を守るために信号があるという事を最優先に考えているかという事なのではないかと思います。でないと信号で待っている場所に車が突っ込んできて死亡なんて最悪のケースは間違いなく避けられるわけです。 信号で同じように待っている人を見ているとスマホを見て信号も、通過する車にも注意を払わないでいるなぁと感じる人がすごく多いわけですね。 絶対的に「赤信号だから止まる」という情報だけを実行しているのだなぁと思うのです。

縄文時代から時代を経て現代に至っているわけですが確実にその時代に最適な形で順応していく必要がありその中で今必要な倫理道徳ができないといけないわけで、歴史の継承だけが真実ではないと思っています(そもそも歴史自体の信憑性も懐疑的です)

なぜか、僕の肌感では近代日本の流れを脱しきれていないように思えます。 高度成長期の日本のような世界を圧巻するようなものも今の日本にはなく、シリコンバレーを中心に外国の製品をせっせと使い(僕はかなり使っています、、、)外国にお金を垂れ流ししているわけです。 

その為にも個人の存在を尊重し本当の意味で平等である世の中を基本としてそこから、世界を視野に入れた発信ができる社会に変わっていけばいいなぁと思います。

いつまでも過去の幻想や慣習に囚われず自由に新価値観を作り出す時ではないでしょうか。