思い通り

感情が揺れ動く要因として特に怒りの感情の場合、思い通りにいかない時に発生する確率が高いように思います。

でもですね、そもそも思い通りいく!という前提が間違っていて全てが思い通りにいくはずないのだとかんがる事が出来れば、目の前で起きた問題に対しても感情的に入るのではなく事実を的確に見ることが出来、無駄なく判断し解決に導ける訳なのですごく効率が良いと思うのです。

邪魔になるのは、余計な「感情」な訳ですね(それが原動力になるパターンもありますが)

感情そのものは人間として必要なものだと思うのでそれを否定する気はないですが、感情に常に支配される事を良しとしている事に対しては問題を感じます。 色々な方とお話をしていて感じるのは、問題の分解と整理ができてなく、全てをひとまとめにしてしまうが故に問題が複雑化しているケースが多いように見えます。なので、訳分からなくなるか、頑なに主張を通す為にある種のパニック状態に陥り感情域に精神を丸投げしてしまうことになるのかも知れないなぁと勝手に仮説を立てています(あくまで個人的意見です)    僕の場合そうやって仮説を立てることでどんな状態でも常に自分がフラットでいられるようにしているのだと思います。    過去には考えた事もないけれど「感情というものは自分」という漠然としたものから「感情は自分の中に住みついた表現のアイテム」に過ぎないことではないかと最近思う訳です。なので、感情に支配されている状態は、ハイパワーのスポーツカーに乗って車に振り回され挙句事故するのと同じことだと思うのです。  常にフラットである事で今必要なアイテムを引き出す事にフォーカスするのが良いと思っています。なのでそこで感情を引き出すことが効果的だと判断すれば引き出せば良いし、論理的な行動で解決できるのならそれでいいて感じですかね。

さらに分かりにくい例えですが、自分自身がラーメンの器であるとして、今まで得た知識経験をいわゆるラーメンとします。そこにお好みで味にエッセンスを加える香辛料などを感情として捉えるくらいがちょうどいいのかなぁと思っています。そんな簡単な問題でもないし少し強引すぎる例えだけど、「自分」「情報、知識」「感情」は本来別のものであってこれをひとまとめに考えるから面倒臭い事になるのだということあながち間違っていないと思うのです。

知識、情報、感情をどのように使うかを判断し自分にとって最適な選択ができれば、世の中のほんの少しだけ苦痛が減って、ほんの少しだけ住みやすくなるのではと思っているのです。

思い通りにいかなくても全く問題ないと思います。思い通りは予定調和であり進歩のない毎日を肯定しているだけだと思うので常に思い通りにいかないものだ!でもそこが楽しい!と考えて情報、知識、感情をくしし今を存分に生きればいいと思って今日もスタートです。