なぜ嫌いなのか?

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人間には嫌いなものや苦手なものがあって然りなのだと思うのです。 「あいつのああいう性格が嫌いだ」とか「赤色が苦手」「上司が苦手」など、などそれぞれあると思うのです。

僕はかなり好き嫌いの判断が多い部類でして、嫌いなものには触れない!近寄らない!と決め込んでいたのですが、このところ考え方が変わってきたように思うわけです。嫌いであると言う事は、好きであるという事と同じであって感心を持っているという事なのだと実感できるようになってきたわけです。たまたま、好きな方か嫌いな方かに振り分けられて感情の中のフォルダにしまわれただけの事に過ぎないのだなぁと思うわけですね。結果的にどちらも自分の感情を揺さぶるファクトなので必要な事なのでは?と思えてきたわけです。

しかし、それでは綺麗事なのです。「だって嫌いなものは嫌いだから!」な訳で概念として理解したのなら次の段階として、なぜ嫌いなのか???を考えてみるようにしてみたわけです。

具体的な話をすると僕はスイカが死ぬほど嫌いだったわけです。何十年もスイカと聞くだけでも逃げ出すほど嫌いだったのですが、なぜそこまで嫌うのかを考えてみると、子供の頃にスイカ畑で間引かれ、あぜ道に放り出されたスイカにゴキブリを筆頭に多くの虫が集り、しかも独特の腐敗臭を醸し出していた事が事の発端だと気付いたわけです。そこからはスイカを嫌いになる理由を自らの中でさらに膨らまし自己暗示をかけていったのですね。なので気づけばスイカ=嫌い!という揺るがない図式ができていたのです。

人に対してだと、突き詰めて考えていくと自分の意見を尊重してくれないから嫌いになり始め「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」的に嫌いになる為に逆に執着していたことに気づいたのです。

好き嫌いという感情は本来その瞬間に発動するものであり、永続的ではないはずなのですが自分の中でその感情の火を消さないようにすごく無駄な努力をしているわけですね。しかも、その火を保つために、薪となるべく嫌いになるネタを常に焚べ続けなければならないので考えると馬鹿らしいことですね。

話戻りますが、嫌いな感情と好きな感情は紙一重であるので同様に好きなことについて掘り下げて考えてみてもやはり結論は、ほんの一瞬のエピソードやファクトが影響を与えているに過ぎないと分かるのです。

好きでいるために、または嫌いでいるために、莫大な燃料を使用しているのだなぁと思うわけです。感情の決めつけは先ほども書きましたがほんの一瞬なのです。 それを、継続させて嫌い続けたりする事ってある意味パワフルであるけれど、本当に無意味だと思えます。

感情は一瞬にのみ存在し、あとは自らがそれを執着し引きずるのか、そのまま瞬間で終わらせるのかにかかっていますので、僕自身、瞬間的な感情はむしろ楽しむようにしています。そして仮に「嫌いだなぁ」「腹たつなぁ」なんて感情が出てきたときも、ほんの瞬間の感情の判断に過ぎないので次の瞬間には、「おもろいなぁ」「そういう解釈するんだぁ」と感じる瞬間を捉えるようにしています。経験上、怒りや嫌悪の感情の方が自分の中で執着を生み尾を引きやすので、好意、や楽しさに繋がる感情を優先してピックアップしていくほうが自分自身がストレスなく暮らせると感じたので、嫌いであるという事と向き合い自分なりに対処法を考えてみました。ちなみに、好きであるって事も一般的に認知されている意味であるのなら同じように固執せず対処した方が良いと思ってます。

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